mimiのiPOD

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ミミ、何聴いてるの?
ミミ「これだよ」
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アマゾンで、日本から取り寄せた「鳥の声のCD」。
さて効果は?
リラックスして気持ちよく寝てるようなので、成功なのか、
あるいは、全く興味ないのかも….

先週、

真実子が凄く面白いというので、奥田英朗の「オリンピックの身代金」という小説を読んだ。
本当だ。
面白くて止められない。つい夜中まで読んでしまう。
オリンピックのあった昭和30年代を、良き時代として懐かしむブームがあるようだが、この本を読んでいると、その頃の目覚ましい東京の成長と、それによる社会の歪みみたいなものが見えて来ていろいろ考えてしまう。
それにしても、奥田英朗って何人いるんだ?ってくらい作品によって、作風が違う。違いすぎる。どれも面白いんだけど。
ここから本題
登場人物の一人、19歳のBG(ビジネスガール)の給料が1万二千円、そしてビートルズのLPレコードが1,800円、シングルが330円、と小説中にある。
昭和39年の話だ。
当時の物価からみて、LPレコードってめちゃくちゃ高価じゃないか。
1,800円÷12,000円=0.15
LPレコードが月給の15%!
今の給料に置き換えて計算してみる。
高卒で初任給17万くらいとして、その15%は、何と22,500円。
(こういう単純計算は、あまり意味が無いのかもしれないが…)
そのBGには、LPレコードなんて到底手が出せないと書いてある。
それはそうだ。
じゃあ、当時LPレコードを買ってた人たちって、
かなり裕福だったのだろうか。
うーん、そうなのか?
オチは無い。
終わり。
三宅健司
(低所得のくせ無駄使い、将来の事は全く考えてない)

本屋で考えたこと

台北市北部、天母にSOGOデパートがオープンした。
ジュンク堂書店が入っているというので、行って来た。
普段、書籍は微風広場の紀伊國屋書店、デザイン関連書は誠品書店で買っている。
さて、ジュンク堂だ。
まずは、文庫。
創元推理文庫の海外作品が、まあまあ揃ってる。
ハヤカワミステリ文庫もまあまあいけてる。
微風広場の紀伊國屋書店は、この両文庫の品揃えが、ちょっと…あれなんで、不満があったのだ。だいたい超人気のフロスト警部シリーズの最新刊「フロスト気質」が入荷予定無しだったので日本から取り寄せて貰ったのだ。
ネットが発達したので、読みたい本があれば、ネットで調べて、アマゾンや楽天を使って日本から取り寄せればすむんじゃないのと、思う方もいるだろう。
どうしても必要な本、絶対読みたい本はそうする事もある。紀伊國屋書店で日本から取り寄せてもらう事もある。
普段一番良く読むミステリーや冒険小説の類いは、始めから作者やジャンル、出版社を決めて,
ネットで探すのは簡単だろうが、やはり書店の中をぶらぶらして選びたい。
実際、手に取ってウラ表紙の簡単な紹介や、帯の宣伝文句、海外物なら訳者が大事だし、解説者で決めちゃう場合もある。
北上次郎が解説書いてるから、きっと面白いんだよな。とか、知らない作家だけど、訳が高見浩じゃん、買っちゃおーとか。書店の中での扱われ方というか、置き位置も大切。平台に載せて、店員の手書きの熱いメモなどもあれば、予備知識がなくとも、そうかそうか買ってみるか、となる。
とにかく、本は書店で買いたいんだよ、じじいだし。
ここから本題。
本屋で考えた事。
その1)エンターテイメント系ではない、海外文学を読みたくなった、たまには。
本の雑誌の最新号に「海外文学」の小特集を読んだためだ。
最近あまり、そう言うの読んでないな、レイモンド・カーヴァーならすっと前にいくつか読んで面白かったし、未読のを探してみるか、アービングも良いかな。
おっ、あるじゃん、割と揃ってるじゃん、訳は村上春樹!、えーとこっちのは、やっぱり村上春樹。
よく見たら、村上春樹翻訳ライブラリーだって。くそっ。
他にも文庫が有るはずと、探す。あった、これも村上春樹訳。
しかも「マ行」に置いてある。おいっ、違うだろ。
結局気持ちが萎えて、そのへんの海外作品の棚を眺めてると、チャンドラー「ロング・グッドバイ」「さらば愛しき女よ」の新訳、っていうのがあって、これも村上春樹。
あせって、ハヤカワの文庫コーナーへ確認に行った。おー、既存の文庫はまだある。清水俊二訳だ。ワタシはこの訳で読んだし、これからも読みたかったら、こっち読むから、ハヤカワさん、絶対この清水さんの訳は無くさないでね。
フィッツジェラルド、サリンジャー、そこらじゅうに、村上春樹の翻訳小説が置いてある。もちろん本人の小説やエッセイ集も置いてある。
村上春樹は、出版業界のマイクロソフトか?
いやそれは例えがちょっとちがうな、
探し出せば必ず一家に一冊はある、まるでユニクロのようなもんか?いやこれも違う。
とにかくこれからは、「今日はちょっと、エンターテイメント系以外の、アメリカの小説でも読もうかな」とおもうと、村上春樹訳にあたる確率が、かなりふえたわけだ。
フンッ、やだな。
海外文学のコーナーをじわじわと侵略してく恐るべき翻訳者、村上春樹。いっそのこと「ハルキ出版」とか作ったらどうだ!
(↑それじゃあ、角川春樹と区別つかない)
オチ無し
その2)

あー河出文庫の装丁デザイン変わったんだ、ふーん。

ジュルジュ・バタイユ「眼球譚(初稿) 」
ふーん、単行本持ってたかなあ。
河出文庫はこういうのあるから良いんだよな、と手に取ってみる。
ウゲッッッ、何このデザイン。
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バタイユだよ、退廃も世紀末もしてないよ。
エロティシズムでも無いよ、全く異端でもない。
いくらなんでも、これは…
しかし、河出文庫が装丁をおろそかにするわけがない。きっと有名な人のデザインなんだ。ドキドキ、表紙の内側を見てみる。ギエー、デザインは菊地信義だった。フォーマットは別の人。以前は菊地信義がフォーマットデザインではなかったか。
どちらにしても、装丁の超エラい人なので、ワタシのようなものが意見は言えないが、「これ、ホントにこんなんで良いんだっけ?」とだれかに小声で聞いてみたくなる。
うーん、どんなふうに感じれば良いのだろう。
ちなみに、もう一冊はこれ。色も空の青か?
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絶対にその辺の若いデザイナーにはできないデザインだ。
でも…良いのかなー、こういうので。バタイユだよ…
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ちなみにこれは、角川文庫版、バタイユの「マダム・エドワルダ」
金子国義の絵を使った黒ベースのデザイン。
これは、わかる。手に取る。欲しくなる。読みたくなる。ちょっと難しいのかなとも思う。
退廃やエロティシズム、乾いたユーモアなどを想起させる。
多分、今ワタシが書いたイメージ、それこそが、邪魔なモノだと河出文庫と菊地信義は感じているのだろうか。
そんな型にはまったイメージを廃し、こういった作品に初めて接する読者に先入観を与えないデザイン? なのだろうか? 
いや、的外れ?、深読み? ワタシってアタマ悪い?
偏屈なじじい
三宅健司