マニアック過ぎる、ということで

社内でも誰も読んでないらしいこのブログですが、かまわず前回の続きです。
インターネットで調べていたら、何とアイルランド、MAYO州のホームページに前回紹介した「キルケリー」について、いろいろなことが載っていました。
歌詞の全文、そして歌詞の元になった手紙の文章も観ることができます。歌詞と違って、一通がかなり長い文章で、ワタシには歯がたちません。
手紙は全部で20通掲載されています。歌にあるように、John Hunt 宛てに、学校の教師Patrick McNamaraが代筆したもののようです。John一家の家、Patrick McNamaraが教鞭をとっていた学校の写真なども掲載されています。
「キルケリー」の歌詞にあるようなストーリーは、当時のアイルランドに暮らす人の共通の歴史でもあります。「アイリッシュ・ミュージックの森」(大島豊著、青弓社)によると、1800年代の半ばのジャガイモの伝染病による不作、それによってもたされた大饑餓、またロンドン政府の対応の遅れ、飢餓に疫病も重なり、大量の死者がでたようです。そんな状況の中で、アメリカへの移民もかなり増えたようです。推定820万人だった人口が半世紀で250万人までに減ったそうです。
「キルケリー」の歌詞にも「ジャガイモは病気で三分の二がやられたよ」と言う箇所がありました。当時のアイルランドはかなり過酷な地だったようです。
ええと、このへんでやめておきます。
MAYO州ホームページ「Hunt Family and Kilkelly Ireland Song」>>
三宅健司

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