「黒い風」—-トニイ・ヒラーマン

いきなり10年くらい前の本の紹介で申し訳ないが、少しだけつきあってください。
●私は、トニイ・ヒラーマンの小説のファンで、入手可能な者はほとんど読んだはずだ。日本から持って来て手元にあるものは、何回か読みなおした。10年程前はハヤカワ文庫(ミステリアスプレス)からでていたが、最近作についてはよくわからない。
ナヴァホ族警察のジム・チー巡査が主人公だったり、その上司やはりナヴァホのリープホーン警部補が主人公であったり、二人が同等に主人公であったりする。言っておくが、このシリーズはまぎれも無いエンターテイメント・ミステリーでである。しかし小説の舞台のはとんどは、ナヴァホ族が住む地域内でのできごとである。
●だから当然、ナヴァホの人たちの習慣、風習、考え方などは、随所にあらわれる。だからといって、ヒラーマンの小説には私の大嫌いな、「現代の文明を批判し、自然と共存するインディアンに学ぼう」とかその手の浅はかな、自己啓発本、自己啓蒙本みたいなウサン臭さは一切感じられない(少なくともワタシには)。
逆にヒラーマンは誇張せずに、読み手に先入観をあたえないようにナヴァホの習慣や考え方を、あくまで静かな文体で時にユーモアもまじえ描いている。
●警察と儀式の歌い手を両立させようとするジム・チー巡査と、妻を病気で亡くしたどちらかというと現実派のリープホーン警部補、その他の登場人物の造形が実に魅力的だ。ストーリーは面白い、スリル満点(死語か?)、派手なアクションは無いが、優れたミステリーであることは、私が保証する。私が保証してもなんにもならないいので、月並みだが、その面白さは受賞歴やアメリカでの評価が物語っている、とでも書いておこう。
k070212a.jpg
●おっと、興奮して本の紹介が長過ぎた。ここからが今日のテーマです。
このナヴァホ・ミステリーシリーズの「黒い風」に、こんな文章が出て来る。
『作法の基本的ルールを破ったり、人を傷つけたりした者は、ナヴァホの考え方によれば、<みだれた者 >だった。<黒い風>がその男の中に入って判断力を破壊したのだ。人びとはそういう男をさけ、気づかう、そして男の一時的な精神異常が治って調和(ホズロ)にもどると、彼らは喜ぶ。』

●さっき、自分で言った事と矛盾してる、と思われるかも知れない。だが、私はこんなナヴァホの考え方に惹き付けられ、この「黒い風」を何度か読み直した。ほんの少しでも自分にそれに似た考えが持てればば良いのに…..。私は今まで、どれだけ多くの人を無神経に傷つけ、それを正しいと自分に思い込ませ、自分の決めた人生のルールさえ守れずに、生きて来たのだろうか。もちろん、その逆も同じようにある。そして、その相手を恨み、その人から<黒い風>が早く立ち去れば良いなんて、考えることは、少なくとも今の私には出来ない。
●でもこの本棚に無造作につっこんだ<黒い風>の背表紙のタイトルを見るたび、自分に何かが足りない、もしくは何かが間違っているとか、そんな気がして気持ちが少し動揺してしまう。
精神の調和(ホズロ)のとれた状態というのが、どんなものかもわからない。
何を間違えてるのか、自分に本当に必要なものは、私にはわからない。わかったようなことを言うつもりもない。高校生のような青臭い文章を書いて申し訳ない。だが実際の今の気持ちである。
●結局、最後はうさんくさい、キース・ジャレットのピアノソロみたいになってしまったが、機会があったら、この本に限らずどれでも面白いので、トニイ・ヒラーマン、是非読んでみて下さい。

キース・ジャレット:ジャズピアノの凄く偉い人、クラシックも現代音楽の演奏CDもある。うさんくさいと書いたのは冗談、すまんです。「ケルン・コンサート」は一家に一枚が常識ですからね。もって無いとはずかしいんだぜ。

「黒い風」—-トニイ・ヒラーマン」への6件のフィードバック

  1. 三宅社長さん
    ええっと今日のお話は難しいですね、4回も読ませて頂きました。
    で、ですが、何だか私、そんな風に「本を読んでよ~く考える」とか、した事が無いのです。
    知らない内に誰かを傷つけたかも、とか、自分を正当化していたかも、とか、
    何だかそうやって「考えてしまっている三宅社長さん」が羨ましく思いました。
    いや羨ましいって何か随分違いますけど、御本人は辛いのかもしれませんけど。
    私は結構、短絡的な性格らしく、おなかが一杯なら幸せ、おなかが空くと悲しくなる、
    と言うど~しょ~も無いタイプなので、その「無神経に~」っての、やっているかもしれません。
    少しは考えてから色々しようと?思います。

    ちょっとちょっと、最後の文を拝見してびっくりしました、
    ケルンコンサートは名盤です、「あんなもん駄目」と言われたのかと、びっくり栗。
    そうそう、あればっかりは、聞きやすいです。
    たまに入っているキースの「んあ~」と言う陶酔の声がちょっぴり邪魔ですが…わはは!

  2. ケルンコンサートは文句なしの名盤です。だからこそ「ケッ」キースのケルンかよ。とエラソーに言う人種もいるのです。
    ジャズ名盤○○みたいな本の紹介には、ほめたような、でも無条件じゃほめるのは評論家としてのプライドがゆるさん、みたいな中途半端な文章が多いのです。
    ジャズ評論家にとっては、非常にあつかいにくいCDのようです。感性の踏絵の代表のようなCDです。でも私の評価も、正直うさんくささゼロかと言えばそうでもありません。3パーセントのうさんくささ、それがキースのき真面目な魅力でもあり、個性でもあるのではないでしょうか?(などと超エラソーにいってみました、ごめん)
    後、弾くとき、同じように声も出さなくちゃだめですよ、なんちって。

  3. 三宅社長さん
    はい、同じタイミングで「ん~」とか声に出したり、
    リズムを取るのに、ペダルから足をつけたり離したり、
    つまりあの「ばっこんばっこん!」と言う音も出して弾いてました♪
    でもスリッパだったので、「ぱっすんぱっすん!」でした。
    きゃきゃきゃ。

  4. サトコさんへ
    ばっこんばっこん!」て床を靴でたたいて、リズムを取ってる音が小さめに録音されてるんだとかってに思ってました。でも、そういう音とは違う…。そうか、ペダルの音なのか。よく音を聴いてりゃわかりますよね。20数年来の疑問が解決しました。ありがとうです。

  5. トニイ・ヒラーマン、探して読んでみます。
    カリフォルニアのピットリバー族では、「ハーハー」に憑かれた子供は頑としてイヤダイヤダ状態になってしまうそうです。
    聞き分けのない子達に対して客観的な評価をしてやるときに、とっても便利な抽象概念でした。本人たちもわかりやすかったみたいです。(小さいうちは顔がマジになる)
    「黒い風」たまに吹くので、大人用にいいですね。

  6. コメントありがとうございます。
    トニイ・ヒラーマンは確か子供の頃ナバァホの居留区の近くに住んでいたようで、作り物でない自然なナバァホに小説のなかで接することができます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。